熊本県荒尾市:荒尾二造変電所跡[東京陸軍第二兵廠荒尾製造所]

熊本県荒尾市、といえば三井三池炭鉱、万田坑が有名ですが、
荒尾市にはかつて旧日本陸軍の大規模な火薬工場がありました。
東京陸軍第二兵廠荒尾製造所を略して荒尾二造と呼ばれる、
およそ100万坪の敷地に及ぶ巨大工場です。
第二次大戦中に稼動していたその工場は現在、一部の施設を残すのみ。

今回のエントリーではそのもっとも特徴的な施設、
荒尾二造変電所跡をお送りします。

生垣の向こうはグラウンドになっており、この時はゲートボールに興じるお年寄りがたくさん。
その向こうに重厚なコンクリートの建物が見えます。

国有地の看板が立つ柵の中に、その戦争遺跡はあります。
工場の電力を供給していた変電所周辺は団地になっており、アパートが立ち並ぶエリアです。
この変電所は丘の壁面をくりぬいて造られたようになっており、
上空からはおそらく見えにくいと思われます。
空爆に備えての設計でしょうか。

軍事施設の変電所は初体験、その建物と周囲の様子にはかなりギャップがあり、
のどかな団地の中の軍事施設に違和感を憶えずにはいられませんね。

Trans former substationの横に連合軍の接収番号「284」が書かれています。
終戦と共に工場施設は連合軍に接収され、周辺施設も民間に払い下げられました。

現在残っている多くの火薬庫は、付近住民の車庫や倉庫として利用されています。
その様子はまた別のエントリーで。

熊本県荒尾市:荒尾二造変電所跡[東京陸軍第二兵廠荒尾製造所]” への5件のフィードバック

  1. 初めまして。ネットを徘徊しているときに流れ着きました。懐かしい風景です、この公園では小学生の頃良く遊んでいました。変電所の中に入り遊んだりその上の山へ入り遊んだりしていました。この変電所の大きなドアからは公園の向こう側へ線路が引かれたような跡がありました。おそらく市電が走っていた線路へ続いていたのだろうと思います。この中央区、新生区、一紡区には軍需産業関連の廃墟や弾薬庫が沢山あり、小中学生の頃にはよい遊び場でした。(学校では禁止になっていましたけどね)特に一紡区にあった廃墟は3、4階建てと大きく、中へ入ると仕切りも無くとても広いフロアーとなっており、床には丸く大きな開口が二箇所あったと記憶しています。

  2. >たろうさんコメントありがとうございます。地元に住んでいた方からコメントいただけるとは思ってもいませんでした。>この変電所の大きなドアからは公園の向こう側へ線路が引かれたような跡がありました。変電所内部に入ったことがあるんですか?とても興味深いです。僕も付近の荒尾二造関連の弾薬庫と思われる箇所は数箇所見てまわりましたが、3,4階建ての廃墟は見かけませんでしたので、取り壊されたのでしょうね。貴重なお話をありがとうございました!

  3. 初めまして。荒尾市の画像を探してたらココに辿り着きました。私も”たろうさん”と同じように学校の帰りによく立ち寄ったものです。その当時私は一紡区に住んでおり、家の周りにはこのような建物(廃墟)がたくさんありました。一紡区にあった3、4階の廃墟は取り壊した後、障害者の方が通う学校?養護施設?になったと記憶してます。

    1. こんばんは。
      貴重なお話しをありがとうございます。
      今は火薬庫と変電所くらいしか残っていなさそうですね。
      自分はこの辺りは随分ウロウロして写真撮ってましたから、
      かなり怪しい人に見えたかもしれません。笑
      また機会があれば訪れてみたいと思います。

  4. 私もこの周辺に住んでいます今も毎日のように見ていて、今ではこのことに関しての看板もあり荒尾市を観光する人ではバスで観光地になっていますそして太郎さんの話めっちゃ、分かります

コメントを残す