佐世保要塞:面高堡塁跡(2 [兵舎跡・記載違いの謎]

佐世保要塞は、明治22年の「佐世保鎮守府」開庁により佐世保軍港を根拠地として成立、
その軍港を敵から防御するために造られた要塞で、湾口を囲むように設置されています。

そのひとつである面高堡塁は、湾口の南側にあり、石原岳堡塁とともに
軍港防備の要として存在した主力高砲台であったと思われます。

面高堡塁は1897年(明治30年)に着工され、1900年(明治33年)に3年を費やして完成、
現在その地区には養豚場がありますが、堡塁跡は取り壊されることなく、
また、貴重な遺構として保存もされておらず、手をつけないまま放置されていました。

ここは堡塁につき物の棲息掩蔽部や地下砲側庫、いわゆる兵舎や弾薬庫なんですが、
ここに来て「おや?」と思いました。

壕の上に着工年と竣工年の書かれた石のプレートがはめ込んであるんですが、
起工は明治30年九月、竣工は明治32年三月、とあります。
おかしいな・・・wikiに書いてある情報と違っていますね。

面高堡塁の装備は、9糎(センチ)臼砲2門、12糎カノン砲4門、28糎榴弾砲4門、と
計10門の砲が配備されていたといいますから、兵舎も弾薬庫もかなり多く造られていたようです。

その壕のひとつの内部、当たり前だけど何もありませんね。
内壁は白く塗られているようで、それは幾分も廃れておりませんでした。
明治の遺構としては極めて綺麗なものです。

他の堡塁跡は、付近住民の倉庫だったり再利用されているものが多いのですが、
ここは全くそういった気配がありません。

さらに面高堡塁の探索は続きます。

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